↑ エアクラフトグレーに変更された199th TFSのF-4C/64-0785。機首には、ハワイ語で現地の各種鳥類の名前が書かれている。尾翼のラインは、上からハワイの代表的火山 5か所、赤いラインの6つの槍は、6つの代表的島の戦士を槍数で表し、下のラインの波印は、ハワイ諸島の9つの海峡を示している。
F-4C 199th TFS / Hawaii ANG
(F-4C 1976~1987)
↑ 本機は4つもの撃墜マークを付けていた199th TFSのF-4C/64-0806。但し この機体自体は撃墜記録は無く、恐らく所属パイロットの戦歴か、もしくは部隊所有のミグキラー機の合計として、撃墜成果を表記したもの。
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↑ 1981年11月にヒッカムで撮影されたF-4C/64-0831。この機体もシリアルの書き方が異なる。HANGと呼ばれたハワイ州航空隊は、1980年6月にHANG司令官アーサ-・イシモト准将の指揮の元、6機のF-4Cが三沢基地に展開しコープノース演習に参加している。
↑ 1981年4月にヒッカムで撮影されたF-4C/63-7414。1976年にジョージの58th TFTWから移管され、エアクラフトグレーに塗り替えられた機体。テールの機体ナンバーの書き方は、時期によって変化する。整備員が機体上部のパネルを外している様子が興味深い。
Wings
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1980年初めてのアメリカ大陸への渡航の際、先ず立ち寄ったのがハワイであった。確かここで入国審査を行い。トランジットしてロスアンジェルスへ向かった記憶がある。ただ、鮮明に覚えているのがオアフ島に着陸しようとする旅客機の中から見えたハワイの数々の軍事施設であった。洋上に浮かぶアメリカの大型空母にも感激したが、憧れのバーバースポイント海軍航空基地やヒッカム飛行場などが次々に目に入って、思わずシャッターを切った。この当時のヒッカム飛行場には日本にも日米合同演習で飛来したハワイ州空軍のF-4Cがいたのだ。旅客機からエプロンには6機程のF-4Cが見えたが、内2機はエアクラフトグレーで塗られて、ベトナム迷彩機との違いが際立っていた。本項ではハワイ州空軍の199th TFSをご紹介する。
↑ 1984年2月にヒッカムで撮影されたF-4C/63-7415。元は嘉手納基地の44th TFSにいた機体であるが、他の部隊を経由して1984年に受領した機体らしい。恐らくハワイにいたF-4Cで最も古いファントムであったろう。
↑ 1982年2月にヒッカムで撮影されたF-4C/63-7676。ベトナム迷彩は、タンと濃淡異なるグリーン色の3色迷彩であるが、この機体のように色あせてオーバースプレーされてしまうとグリーン3色とタンの4色迷彩に見えるF-4C/63-7676、この機体は、ルーク空軍基地の58th TWW時代 バイセンマークを入れたファントムで、シリアル末尾の7676が、1776-1976の200周年と頃合わせが良かった為、使われたもの。
↑ 1984年1月グアム島のアンダーセン空軍基地で撮影された199th TFSのF-4C/ バックには当時グアムに常駐していた戦略空軍SACのB-52G(恐らく第43爆撃航空団)が写っている。1984年にはほぼ全機機首にハワイの鳥名が入れられたようである。
↑ 1982年4月ヒッカム空軍基地で撮影された199th TFSのF-4C/64-0851
↑ 1985年(F-4C/63-7705)と1987年9月(F-4C/63-7505)に撮影された199th TFSのファントムはすっかり新塗装に変えられていた。
↑ 1981年11月にヒッカムで撮影されたF-4C/63-7578。本機も嘉手納の44th TFS 吸血鬼飛行隊から移管された機体。既に黒レターに変わっている。
↑ 1981年11月にヒッカムで撮影された199th TFSのF-4C/63-7592。機体番号の書き方に変化がある。USAFと小型化されたシリアルナンバーは当時の流行。
↑ 1981年11月にヒッカムで撮影された199th TFSのF-4C/63-7647。この機体は嘉手納の77th TFS(Vampires)から移動してきたもので、44th TFSが1975年にD型に更新した際に余剰となった機体である。本機は、ベトナム戦で1967年月5日にMig-17を撃墜している。1980年6月の三沢基地でのコープノースにも参加した機体。
↑ こちらの機体は、1967年に北ベトナム上空でミグ戦闘機(Mig-17)を撃墜しているF-4C/63-7647。当時は有名な8th TFW/555th TFSの所属であった。今はオレゴンの博物館に展示してある。機首に書かれた鳥名”ALAE'OLA"はハワイ語で鴈の一種。撃月マークの書き方は年代によって異なる。
↑ 1981年4月にヒッカムで撮影されたF-4C/64-0711。93rd TFS(Makos)から移動してきたF-4C/64-0711。この頃はまだ白いテールレターだった。
↑ 上の2枚の写真は1976年12月にヒッカムで撮影されたF-4C導入直後の模様。主にジョージとルーク、嘉手納基地等の部隊から移管された10機のF-4Cの列線は、尾翼に州空軍のインシグニアしか描かれておらず、非常に珍しい写真である。199th TFSは、1976年にF-4Cを受領して以降 迎撃戦闘機部隊から戦術戦闘機部隊に名称変更となった。写真上はF-4C/63-7592、写真↓はF-4C/64-0914
↑ 1980年2月当時のヒッカム飛行場のエプロンはご覧の通り、田舎の飛行場ほどの面積しかなかった。ホノルル空港への着陸ルートからよく見える位置にヒッカムAFBはあり、搭乗機の右側面から展望できた。当時環太平洋軍事演習(リムパック80)が開催されており、ヒッカムの手前に見えたバーバースポイント海軍航空基地には海上自衛隊のP-2Jも数機駐機していた。